願いの実現に向けて祈祷を続ける、人の役に立つ職業だと思います。
相手のことを思いやる本物の霊能者なら、人を恐怖に陥れるような言葉はまず使わないでしょう。また高額請求の話も珍しくないです。「〇〇の霊があなたを恨んでいる」などと言われたら、その霊能者の脳が妄想しているだけかもしれません。とは言え、霊能者も実際に感じているままの内容を相手側に伝えているはずなので、嘘をついている霊能者は少ないかと思います。要件が済み次第、料金を払って気をつけて帰りましょうね。
あくまで個人的意見ですが、親を恨んだりする子供の霊はいないと思っています。むしろ、産めなかった母親の罪悪感などに問題あるかもしれません。そんな後ろめたさから、霊能者のような人から「お祓いをしてあげるよ」と言ってもらいたいのでしょう。実際にしてもらうことで、その母親の気持ちが軽くなる話も聞きます。もともと昔、医学などが発達していなかったときにできた心理療法の一つが供養や除霊で、”信じていた人”にとっては、ありがたい解決法だったのです。ですから、特に今はこのようなことを信じていない人にとっては、意味のないことなのかもしれません。(水子供養でかなり稼ぐ占い師もいます)
「いる」はずです。気配は常日頃感じます。
「ある」と思います。
あります。小学生の頃、休み時間に先生の目を盗んで、数人と何度もやりました。楽しくて、それでいて不思議でした。
日常的に寄らせてもらっています。余談ですが、大分の宇佐神宮は八幡宮の総本社、神様と仏様が出会った場所でもあります。(神社は、宗教とは全く関係ありません)
最近はほとんどしません。数年前に行った福岡の博多東公園の十日恵比須神社は、50円でした。現在はわかりませんが。余談ですが、永守重信さんも、会社が倒産危機に陥ったとき、困ったときの神頼みで神主に鑑定を受けたとか。人は道に迷ったとき、誰かに相談したいという気持ちが出てくるものなのかもしれません。
わりと信じます。おまじないは、言葉を出して脳に認知させることで、脳科学的に効果があるそうです。(”いたいのいたいのとんでけー”、”ちちんぷいぷい”など)
素晴らしい技法だと思います、ほとんど興味はありませんが。
ごく一部の占い師ですが、相手を信じ込ませ勘違いさせるのが目的の人もいます。後になって占い師の文句を言いにくる人もいますが、一方的にその占い師が悪いとも言い切れません。もしかすると、出向く側にも問題が隠れているのかもしれません。(”おみくじ”もバーナム効果の一種です。易なおクジもあります)
そうなんですか。5円玉は、昭和24年戦後の大砲の薬莢を潰した材料から作られたそうです。「平和に暮らせますように」「産業が発展し国が栄えますように」と願いを込めていたそうです。
言葉の力は、時間を超えても残るもの、また優しい言葉は見えないプレゼントのようなものと考えます。たとえ言葉でうまく表現できたとしても、自分自身が満足するかは別問題。そこが、言葉の難しいところでもあります。
日頃の、モノの考え方や行いこそが大切だと思います。人に認められたいから行動するのではなく、誰も見てないからこそ、内面的に自分自身が美しくありたい。そんな小さなたくさんの選択が、人格を形作るものかもしれません。
昔から「神社のお賽銭は5円玉がいい」と言われていました。特に1円や50円など決めていません。
一見関係ないようにみえますが、すべては繋がりがあると考えます。
もちろん大切です。例えば「時間」は時計を見れば過ぎていくのがわかりますが、目に見えない通貨のようなもの。人の感情や本心、相手の沈黙の中にある怒りとか、場の空気を読み解くことで、人生の深みが育ち、より充実した毎日が過ごせるようになります。
法律違反をしていなければ、職業に良し悪しはありません。そもそもご先祖様に、私たちの思いは時空を越えて届くもの。またご先祖様は、皆さまの幸せを願っているので、たたるわけがないです。モノを売りつけたり、グループセッションに参加させたり、祈祷師などを信じるかどうかは、自己責任です。(最高の開運法は生徒さんにお伝えしています)